今回の訴訟の1つに国賠があります。(国賠=行政の間違った判断により国が責任を負い、原告の損害を慰謝する為の賠償金を請求する事)先日の説明会で弁護団からの話に出てたのですが、この国賠に関して原告の数を増やしたいとの事です。
国賠の原告になれるのは、在学生(受験生も含むのか曖昧です)だけなので、私的には現役の高校生を巻き込む事は全面的に賛成出来かねるのが正直なところです。
しかし、訴訟を中心に考えた場合には、原告の数は重要な意味を持って来ます。単純に原告の数が多ければ、それだけ裁判所も慎重に取り扱い、事の重大性と言いますか、深刻性が変わって来るだろうと考えています。
原告になるメリット
費用が安い事
まず、今回の訴訟にかかる費用ですが、着手金が3万円だと聞いてます。この金額は、かなり破格だと思われます。
一般的に、弁護士への報酬は着手金プラス成功報酬ですが、着手金は難解な事件ほど高くなり、訴訟の見通しが厳しいほど高くなる傾向にあると認識しています。
極論ですが、訴訟は誰でも、どんな事でも提訴できます。100%勝ち目の無い事件でも裁判をする自由があり、探せば請けてくれる弁護士はいるでしょう。
しかし、弁護士も商売ですので、勝ち目の無い裁判、つまり成功報酬の見込みの無い案件は断られる事が多いでしょう。請けてもらえたとしても、成功報酬が見込めない事から着手金の比率が上がる事が一般的だと思われます。
今回の訴訟を弁護団がどのような見通しを立てているのかは判りませんが、私的には、正直かなり難易度の高い事件だと受け止めています。
また、素人目に見ても、事件の複雑度や、膨大な資料を考えると、安請け合いできる事件とは言えないのではないでしょうか。
結論として、繰り返しますが、文頭で述べた3万円の着手金は破格の安さだろうと思われます。
(うがった見方をすれば、原告の数が増えれば、それに比例して着手金の額も増えるので、弁護団の取り分も増えるのですが・・。)
原告本人の立証負担が少ない事
本件訴訟は支援者の方々が多く、現実問題として原告となった場合も原告本人が、証拠を揃える等の活動は限り無くゼロに近いものと思われます。
通常の訴訟では、テレビドラマで描かれてるように、弁護士が東奔西走して証拠を集め、昼夜と問わず親身に接してくれる事は有り得ません。
現実は、当事者が用意した証拠に基づいて、弁護士が書面(だけ)を書き、訴訟活動を進めるようなイメージです。
しかし、本件訴訟の場合は、支援者方々の、これまでの活動により、既にある程度のものは揃っているのではないでしょうか。極端な話、原告として名乗りを上げるだけと言えるのでは無いかと思われます。
原告になるデメリット
精神的負担が大きい事
私達、上は半世紀を生きてきた大人でも、困惑し、不安や不満を募らせ、やり場の無い面持ちでいます。まだ15やそこらの子達に、同様の負担を負わせる事は簡単に進められる事では無いのでは無いでしょうか。
また、まだまだ世の中を知らない年頃の子達に、県を相手にした複雑怪奇な環境の中に誘い込む事になってしまいます。
現実はメリットのところで書いたように、原告本人が何かをしなければならないわけでは無いのでしょうが、そうは言っても精神的負担は想像する事すらできません。
そのような精神的負担が、原告となった本人の、今後への影響を考えると簡単に勧める事は躊躇すべきだとも思っています。
少なからず、時間が取られる事
ここまで述べて来たように、今の時点では、原告になる事で、実生活に直接影響する事は無いだろうと考えてきました。
しかし、多少は弁護団との打合せや、法廷での尋問等で直接出向かなければならない可能性が考えられます。日頃の学業を始め、クラブ活動等より優先して、そのような時間を強要する事に成りかねません。
平城高校は、私(3期生)の時とは大きく変わり、今や誰もが認める進学校だと認識しています。
進学校だからと言うわけではありませんが、少しでも学校生活に専念して欲しいのでは無いでしょうか。 一度、原告として名乗りを上げたからには、途中で降りる事は誰の利益にもなりません。この先何年も続くだろう訴訟と関わる事なれば、自ずと受検にも影響する事になってしまいます。
まとめ
すみません。
まとまりません。
まとまらないのですが、時間は止まりません。原告として参加するのならば、早いに越した事は無いでしょう。
遅くとも、条例の執行停止の訴えに参加する事が最大の効果を得る為に望ましいと思われます。来期の受験生を迎える為には、あまりにも時間がありません。
「原告になるのか、ならないのか。」急を要する事になってしまいますので、該当者の方は、陳述書や署名活動などの事は置いといて優先してお考え頂きたくお願いいたします。